パスカルのいう「気晴らし(不幸の忘却)」ができない状況は多くのひとにとって辛いこと

パスカルの「パンセ」より。

気を紛らすこと。人間は、死と不幸と無知を癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことを考えないことにした。

不幸の中で最大のものは自分の死という根源的不幸であるが、ふだんそれを直視するのは辛いので、気晴らしによって忘却している。

今回の新型コロナ騒動というのは、そのこと自体が死を直視せざるをえない、ということと、派生する自粛で気晴らしができない、という二重の意味で辛い状況になっている。

多くの人は、忙しく辛い労働時間(根源的不幸を考えているひまがない)と憂さ晴らしの時間(何も考えずに憂さを晴らす、根源的不幸を考えない)のセットで、どうにかこうにかやり過ごしているように感じるが、両方とも自粛によってできなくなっている。

しかし、これを機に、人間はどうやっても不幸からは逃れられないのだから、モルヒネ打ってごまかすのではなく、不幸を直視してみてもいいと思う。辛いけど。

(2020/05/11記)

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