坊さんになりたかった

昔、(働きたくなくて)坊さんになりたかった。

寺の責任者はなにかと面倒だと思うので、葬式とか人手がいるときだけに駆り出されて、木魚とかのサポートをする坊主。

寺の責任者がリードボーズとするならばサイドボーズ。スウィングするいい木魚叩く自信はある。淡々と4つを刻むだけなんだけど、シンプルであればあるほど、センスが出るものだと思う。ほんの少しのクイとタメ、そしてヴェロシティ。

まあ、そんな坊さんいるのか知らんけど。

結局、大学の研究員などという寺でいうならサイドボーズみたいなことをやっているので、人間はなりたいものにしかなれないものだなぁとは思う。

大学も寺も世間様の施しで成り立っているところも同じだし。

なんというか、寺でも大学でもいいんだけど、なるべく資本主義から遠いところにいたいというのはある。資本主義がきらいというより、武士の商法でやっても勝ち目がないのはわかっているので、なるべくかかわらないようにしたい。

会社員をしていたときも、研究屋だったので、金のやりとりとは切り離されていた。直接的な貢献が見えにくいのもあって、ある立場に対してお金が支払われていたような気がしていた。感覚としては年金とそう変わらんような。

(2018/12/11記)

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