昨日、Scrapboxについての記事を投稿した。
本日は、Dynalistは続かなかったが、Scrapboxは続いている理由を考えてみた。その理由は楽だから。それに尽きる。
Dynalistで、つらいのが、どうしても分類ということが頭から離れないこと。
なにかメモを書いたあとに、ツリーの中のどこかにおさめないといけないという心理が発生して、この負荷がもううざい。
人間の頭の中は、ツリー構造のように理路整然とはなっていないから、まとめられる部分もあるが、逸脱する部分が出てくる。それを「未分類」とかいう分類を作ったりしておさめるわけだが、「未分類」ができた時点でその分類は破綻している。
各階層にある項目の粒度を合わせたいという、変に几帳面な感覚も落ち着かなくする。(これは報告書とか技術文書を書いてきたものの職業病かもしれないが)
そこへいくとScrapboxはなにもせずに、置いておくことができる。書きっぱなしの放置プレー。リンクも別に作りたくなければ作らなくてもいい。(その場合、検索でしか見つけることができなくなるが)
リンクはあとで気が向いたらつけてもいいし、つけなくてもいい。
気の向くままに文中のワードをリンクにしておけば、だいたい、いい感じでつながってくれる。
この気楽な感じが、ぼくのような、怠惰な人間にはあっているし、これしかないだろうと思わせる。
まとめると、Dynalistはきちんとさせるツールであるがゆえに、きちんとしていない自分が可視化されていやになってくる。一方、Scrapboxはきちんとしていない自分をそのまま許容してくれる。
(2018/10/30記)