この句が今年のサラリーマン川柳の1位だそうだが、読んで思ったことを列記する。
- 多くの労働者の一生はしんどいフルタイム労働と憂さ晴らしのセット→憂さ晴らしも含めてフルタイム労働
- まだ、5時で解放されるのなら御の字と感じる人も多そうだ
- 憂さ晴らしできるだけの金銭的余裕があるだけいいと思う人も多そうだ
- すべては再生産のために。労働者個々人にもそれは言え、翌日また気分を新たに働いてもらうため(再生産のため)に、給料の中に憂さ晴らし代が必要経費として組み込まれている。
- この循環から抜け出さないと、なにもできない(無理になにかやる必要もないが)
- パスカルの気晴らしを想起した。
人は、不幸を自覚せず、ただ自分の境涯に慣れて生き続ける。それを可能にするのが「気ばらし」による「不幸の忘却」である。
http://xn--xwr03m.jp/philosophy251.html
「哲学.jp」より
- 忙しく辛い労働時間(根源的不幸を考えているひまがない)、憂さ晴らしの時間(何も考えずに憂さを晴らす、根源的不幸を考えない)。
- この方が、一般的には幸せなのかもしれないが、ぼくは、もう少し冷酷な現実を、真実を知りたい。
(2019/05/27記)