東濃のオバちゃんどうしの会話では「ほーやー」(直訳は同意のそうですね)が頻出する。ところが「ほーやー」にはニュアンスにより、同意(明るいほーやー)、不同意(トーンを抑え気味のほーやー)があり正反対の意味を同じ言葉で表現する。すごいコミュニケーション力が要求される。
ちなみに、男の場合は、同意は「ほーやー」、不同意は「ほーやなーやらー」と普通に使い分ける。オバちゃんは「ほーやなーやらー」はあまり使わない。これを言うと角が立つので、(直接的な否定なので)、言外に否定をにじませて、コミュニケーションをとる。慣れないと何話しているのかわからない。
突き詰めると、話を聞いていなくても、生返事で「ほーやー、ほーやー」言っておけば、会話は成立していくという不思議な言語である。まあ、基本、YESでもNOでもどっちでもいい、どうでもいい話しかしていないわけだが。どうでもいい話するぐらいなら黙っとけばいいと思うが、隙間恐怖症なのかしゃべり続ける。まるでコルトレーンのシーツ・オブ・サウンドのごとく。
翻って、野郎同士の場合(少なくともぼくは)はシラフでは、そう話なんかできるものではない。それでコミュニケーションといえば、酒飲んでハードルを下げるしかない。で、壊れたテープレコーダーのように同じ話を何回もして、記憶を失う、という歪なコミュニケーションになってしまう。それを考えると東濃のオバちゃんのコミュニケーションは本当にすごいと思う。
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