「お祭り」がないと社会は閉塞する

多くの人は、辛く長い労働という生産行為と、ほんの束の間の「お祭り」(なんでもいいんだけど、要する飲み会なんかも含む大勢でワーっとやること)という蕩尽行為での憂さ晴らしというセットでやり過ごしてきた。

日常と非日常と言ってもいい。

長引くコロナ騒動において「お祭り」ができなくなっている。
緊急回避的な措置なら問題はないが、ニューノーマルという名の下で、これが普通になろうとしている。

社会にとって非常に不健全だと思う。

(2021/09/29記)

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