死ということについてリアリティをもって考え出したのが小学校4年生(10歳)のときだった。
死んだらどうなるのか。
無になるというが、無とはどういう状態なのか。
自分の意識が永遠に無くなってしまうという現象が想像できず、ただただ戦慄した。
しばらくの間、決まって風呂上がりに考えてしまい、体育座りの状態で体もろくにふかずに、ガタガタ震えていたのを覚えている。
そのときは、まだ当分死なないだろうから、そのうちまた考えようということで、乗りきることにした。
あと、死についてだけではなく、次の三つを同時に考えることが多かった。
- 死ぬとは
- 自分はなぜ自分なのか(例えば家族の誰かと入れ替わることはなぜできないのか)
- 時間とはなにか(なぜ止められない。なぜ過去に戻れない。)
で、そのうち考えようということで、ことあるごとに考えているが、いまだに答えはでない。
(2019/11/12記)