AIにより同時通訳が可能になるとしても外国語を理解する意味はある

「Googleアシスタント」に通訳モードが登場、スマートディスプレイで提供へ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190109-35131002-cnetj-sci

Googleアシスタントのニュース記事が出ていた。時間の問題で、5年、10年で考えれば、主だった言語の同時通訳ができるようになっていると思う。

その意味で、意思疎通の手段としての外国語の勉強は今後、必要なくなっていくと思われるが、言語を学ぶことは、母国語を異にする人を理解するのに意味があると思う。

ソシュールの記号論なんだけど、人間は言葉によって物事を分節して理解し、思考する。言葉のない思考はありえない。そして、分節のしかた、表現方法などにより、思考は影響を受ける。

普段は気づかないが、思考は母国語の枠組みに縛られている。これは洗脳といってもいいと思う。コンピューターでいうとOSのようなもの。
例えば、こんな仮定は無理がある(言語だけの条件が変わることはありえないから)が、ぼくの母国語が英語だったとしたら、それだけでもう別人格になっていたといっていいと思う。

外国語を学ぶことによって、母国語に縛られている自分を相対化してみるという意味でも、意義がある。

英語もろくにしゃべれない(もっと言えば日本語もままならない)、ぼくが言っても何の説得力もありませんが。

(2019/01/10記)

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